かりんちゃんの随心遊戯日誌

ゲームの日記、たまに政治の話、香港の話

『王朝の貴族』 読了

これまでの巻と異なり、5巻は完全に道長時代の話。そのゆえ時代があまり進んでないように見えます。ただ、それだけに、道長は日本歴史において、重要な人物であろう。

まあ、土田さんが仰った通り「俺も道長なんかと酒を飲みたくないです(まあそもそも酒飲まないけど)」(笑)

 

解説で色々と言われましたが、それでもこの本で、平安時代中期、とりわけ貴族たちの生活がどんな感じか、かなり分かるようになった。そして今まで清少納言のイメージが、「討鬼伝」のツインテールから脱脚したこともある。また、時代こそあまり進んでないものの、文化・儀式・呪いなど、かなり幅広く紹介されたこともあり、とりわけ陰陽道がなぜこの時代では盛んたのか、やっと理解したのである。道長時代だが、以前ゲームで魑魅魍魎の怪しむ平安京や平安時代の正体を、やっと掴んできた。

 

それで得た結果は、まあこの時代が嫌いですとただ一言。なぜかというと、実力主義ではなく、生まれることですべてが決まったような世界では、そりゃ成長はしないしあとの時代では腐っていくだろう。

実際文学はそれなりに発達しましたが、政治は完全に藤原の内ゲバであり、世の中は迷信が広がり、それ以外なにも変わらなかった。

とはいえ、このような状態は嵯峨朝から始まったとも言えるが。

 

だから道長は偉いと思ってないし、ただ運が良かっただけの男。でも、まあ、そうですね、成功では運が大事だものです。それが道長の強みであろう、同時に頼通の弱みでもあるだろう。だけど、やはり己の栄華のために、関係を築くだけでトップに登り詰める男は、自分には嫌いである。

しかし、よくよく考えると、「実力」よりも「関係」、これが日本の現代の正体でもあり、この忖度文化の風習は、道長時代から築いたかもしれない…。考えみよう、いまの自民党は完全にこれじゃないですか。大企業も。

 

NHK大河ドラマではちょうどこの時代やっているが、この本を読むとなおさら見たくないと思ってしまう。馬と合わない人が主人公のドラマ、たぶん見てもイライラするだけですし、望月の自慢は、もうこれだけでよいである。