引き続き「日本の歴史」シリーズと「新・平家物語」を読んでいるが、最近はなぜか『学問のすゝめ』を少しずつ消化してきた。
古文ではあるが、まったく読めないわけでもないので、むしろ一種の日本語鍛錬と僕はそう捉えている。以前から福沢諭吉氏の主張がわりと気に入ったので、前々から読みたくなったことは確かです。
まだ4編までだが、いくつのことも合点が来ました。とりわけ3編、「独立の気力なき者は必ず人に依頼す、 人に依頼する者は必ず人を恐る、人を恐るる者は必ず人にへつらうものなり」、まさにいまの中国が足りない部分であり、未来永劫欧米に勝てない部分だと自分は思う。習近平は人を奴隷畜生扱えば中国は強くなると信じ込むけれども、結局独立思考できない奴隷畜生は中身が空っぽなので、いざっと言うときはなにも考えない、一瞬に崩れ去る。そしてこれもまた、いま香港政府が殺した、香港の強みでもあった。
現にいまの香港の堕落も、まさにこの言葉の具現である。
しかし、2編はちょっと引っかかる。「人民もし暴政を避けんと欲せば、速やかに学問に志し自ら才徳を高くして、政府と相対し同位同等の地位に登らざるべからず。」これはいまの香港には適用できませんよね…中国にも。どれほど学問や才徳を高くしても、警察都市と化した香港ではなにも出来ない。まあ、さすがに福沢諭吉氏でも、こんなことは予想もできないだろうけど…あるいはそもそも上記の話は「支那」では適用外か…
確かに、欧米や日本のような比較的にまともな国だと、学問や才徳が高い人は尊重される。だから、2編では「まともな国」という前題が重要である。考えてみよ、ミャンマーやイランなどの国では、そういう人は逆に最初殺されるでしょう。だから2編は必ずとも成立はしない…と思う。
でも、やはり色々と人生で進むべき道のヒントをくれる。さすが福沢諭吉氏です。