かりんちゃんの随心遊戯日誌

ゲームの日記、たまに政治の話、香港の話

宗教と統一教会と

この2週間はいろんなことが起きましたね。

世界では相変わらずウクライナ戦争と物価問題に悩まされる、そして日本では武漢ウイルスが再び跋扈。香港だと、日本ではあまり報道されてないが、3年前民主デモの武闘派の一人が、以前から国外逃亡と宣言したにも関わらず、香港で警察に捕まれた(実はこの3年間ずっと香港であちこち隠れたという、そして最近ではついに裏切りを遭遇)。この事で民主派(すでに崩壊状態だが、ネットなどで隠れた民主派はまだそれなりの数がいます)の内ゲバまで発展。このことを見て、イギリスの教育を受けても、中国人の内ゲバDNAは、忘れたところでは相変わらず発作すると実感する)。

とはいえ、今日はその事を話したくない(元々この事件ではかなり馬鹿馬鹿しいと思って、深く探究しなかった)。むしろ、最近日本では仄めかされた統一教会などのカルト協会の存在について、最近はちょっと思いどころがあった。

 

宗教。もし神を信じますか、と言われたら、今の自分は間違いなく「信じません」と答えます。3年前の香港の出来事を経験したことで、未だにその神を信用できるとは到底思えない。ましてウイグルやチベットのことを見ると、彼らにそこまで残酷的な人生を送る理由どこにありますか?神の罰や試練というレベルを超えているんですよ。

とはいえ、神社や寺を参拝することでは一応作法を守りますし、御守りも一応持ってます。これに関してはただ一つの理由:「郷に入っては郷に従え」(私の好きな言葉です)。なので心の奥底では実際あまり信用しないが、礼儀上では作法を従います。

 

と、安倍さんの死と統一教会の存在が暴かれると、日本は想像以上に宗教にハマっているなとかなり驚いた。すぐにも思い出したのはオウム事件のことでした。あれもまた衝撃的だった、当時の自分はまだ小学生で、日本に対する感情はまだそんなに濃厚ではなかったが、とても印象的だった。そしてこの前に『龍が如く0』がこのことをネタにしたのを見て、「何と言う馬鹿馬鹿しい」と思って、「こんなのインチキを信じるアホはいないだろう」と笑ったが、いま考えると、もしかして日本では本当にこんな馬鹿馬鹿しい宗教を信じる人が存在するかもしれないと疑う。

さて、統一教会のことは自分はそんなに詳しくないから多くは言えませんが、最近とある自民党の党員が「統一教会のことを話すと犯人の思い壺だからしない」という話を聞いて、違和感を覚える。

確かに、犯人は統一教会への恨みがあって、世の中に存在を暴露するために安倍さんを狙ったのは事実。そして安倍さんがこのことで死亡したのも事実。しかし、統一教会の問題は、安倍さんの死とはそれぞれ別問題であり、それぞれを区別して考えるべきです。犯人の狙いだから全てを否定するのは、あまりにも非論理的です。まして、統一教会の問題はどうやら以前からずっと存在しており、もしかして将来ではまた第二、第三の山上が現れるかもしれない。悲しい事件ではあるが、二度と似たような事件を防止するためにも、統一教会の問題を正視しなければならない、それこそ歴史の教訓から勉強することではないでしょうか。

 

日本では政教分離という言葉が存在する。しかし、古来より政治は宗教から離れられない、日本の仏教(道鏡、本願寺顕如、秀吉のバテレン追放令など)、また欧米や中東では昔から戦争の理由はたいてい宗教でした。だから、政教分離はかなり難しいことではあるのも理解するが、このような韓国から流れてきたわけのわからない宗教が裏で日本の政治を操るのは、正直どうかと思うが。