再びやってきたこの日。
朝は5時起きて新居で色々と確認し、持ち込めるものを持ち込んだので(例えばPS5、サイバーパンクのプラチナ取った現在、しばらく起動することもないので先にそちらに移した)、正直午後はかなり疲れた。それでも新宿に足を運んだ。
2年前、香港”最後”の天安門事件活動を経験した自分には、これは果たすべき責任ではあると自覚している。
かつて香港で頑張ってきた人々がもう二度と天安門事件集会を参加できないかもしれない、ならば集会を参加できる自分には、参加すること自体はゆずれないものではある。
しかし今日のイベントは、香港で経験した天安門事件記念を振り返るとかなり違和感を覚える。天安門の母たちの言葉がもうない、よく歌ってた「自由花」がそこにはなかった。代わりに三年前の香港デモのスローガンと歌が新宿駅に広げていた。
しかし、自分にはすぐ慣れてきた。
これがいまの香港若い世代の”天安門事件”かもしれない。もはや古い天安門事件集会は去っていて、新しい世代の新しい天安門事件集会に引き継がれた。
大丈夫。天安門事件集会の本当の意味はそこにいれば良い。そう、自分たちは自由の花を求めている。集会の”姿”が変わったが、”心”は死んではなかった。
感心したのは、傍観し、興味に湧いた日本の方々は多数にいます。やはり、中国からの危機は、もはや無関係ではないと皆さんが目覚めたかもしれない。