かりんちゃんの随心遊戯日誌

ゲームの日記、たまに政治の話、香港の話

抵抗の意味

先日ではウクライナに関する日本に、ウクライナ降伏すればいいという論調について言及しましたが、ふっと考えてみると、もし香港デモはあの頃反発しなかったら、香港と世界はどうなりますか…

もし香港あの頃は特に反発がなかったら、おそらく国安法はそんな早くやってこないかもしれないという側面、世界では誰でも香港のことを注目してない。中国共産党と香港政府は相変わらずペルソナを被り世界中を騙し取り、香港はジワジワと、内側で侵略されていく…

最終的に香港は現状と変わらないことになるだろう(自由を失って中国の都市と化す)、が、世界からの関心が寄ってこないかもしれない。そして世界も中国共産党の危険性を警戒しなくなる。

とくにリトアニアが目覚めたのはたいてい香港が原因ですから、デモがなかったらリトアニアもさることながら、EU側も対中関係を見直すことはないだろう。

 

こうしてみると、おそらくいまもし2、3年前に戻れると言うならば、自分だけではなく、多くの香港人はおそらくまたしても同じ選択を取ること。せめて世界に、「我々の本音を示していく」「抵抗することで世界に香港人はそういうやり方が嫌い」という意思を示す。

これはおそらく、先のミャンマーのことも、いまのウクライナのことも、勝てない相手でも抵抗する「意味」ではないでしょうか。

 

アフガニスタンのことを見ると、政府は抵抗すること無く、大人しく降伏することを選択した。世界からの関心は一定程度を持つものの、大きくはなかった。むしろ欧米からでは、自国民の安全のみ考慮することが多かった。つまり、「抵抗しないならば、そういうやり方を受け入れる」というメッセージを受け取った、ならば助力する意味なんてないだろう。

もちろん、そういうことだから抵抗して死ぬという意味ではありません。ただ、世の中では、抵抗しないと外側の人間では理解できないことが多い、同情すらしない。3年前香港の事情が注目されたことや、いまウクライナが世界の応援を勝ち取ったのも、抵抗し、行動で意思を世界に示したからだ。

 

また中国の話に戻りましょう。中国共産党が独裁を敷いたことで、中国国内は実は自由民主もなく、中国人民は怯えながら生活しているが、なぜ世界では中国人が可哀想とは一度も思ったことないか。少なくとも、君もそう思ってるだろう。

抵抗しないからだ。

政府に「NO」を言わないから、中国人はこういう生活を受け入れる、と考えているからだ。だから最近ゼロコロナ政策によって、上海での非人道的なことも、殆どのことは笑いネタとしか考えてない。そもそも報道されてないことも多い。

 

30年前北斗の拳の無抵抗主義の村というエピソードを思い出す。なぜ日本の某政治家はこんな簡単な道理ですらわからないかね。