かりんちゃんの随心遊戯日誌

ゲームの日記、たまに政治の話、香港の話

私って足利直義?

実はちょっと前に大河ドラマを視聴したときでは特になんとも思わないことですが、最近「極楽征夷大将軍」を読むとすぐ、あれ、この直義実はオレじゃね?と思い始めた。

というよりも、「極楽征夷大将軍」では「理になってないものはどこまでも折らない」「窮屈な人」「細かい部分まで確認しないと安心しない」というのは、正しく自分のことであり、少なくともこの小説の足利直義は、鏡ですよね…

もちろん、似てない部分もある、例えば権力にそこまでこだわらないし、損得もあまりこだわらない。また束縛されるのが嫌い。この部分はむしろ足利尊氏に似てるかもしれない。ただ、全体から考えると、両兄弟でどっちが自分なのか、やはり直義かもしれない。少なくとも、足利尊氏のように運がいいとは言えないし、好かれるというのも、まあないですね…

もちろん直義なぜ失敗したのかよく分析したので、彼のようにはならない。そもそも自分はリーダーになる性格も才能もないことは自覚しているし、むしろ直義みたいな窮屈な人と反省したこそ、尊氏のように、というより貞氏のいうより、「身を流れに任せ、『その一分ほどの裁量の中で、出来る限りの事をなすだけ』」、だから今は日本に居た、香港の状況は自分一人ではどうにもならないから、その中で最善の方法を取り、日本で頑張るしかないこと。

 

しかし面白いよね、ついさっき大河ドラマの太平記でこの時代にハマったばかりなのに、この小説では大河ドラマとまったく違う足利尊氏が現れました。というよりも、大河ドラマでは言及されたないことを拾ってきた、例えば和歌の話、側室の話、高義の存在。もちろんスルーされた部分もある、例えば高氏の名前の由来や烏帽子親、さらにこの尊氏は権力に興味ないので、日野俊基とも関わらない(佐々木道誉についてはさすがにいずれ出会うだろうか…?)。

この時代はたしかに色々言われてるが、個人的にはむしろこの時代こそ、人間の汚い部分、歴史の教訓がいっぱい詰まっている時代ではないかと考えている。

だって、今はまさに乱世だもの。『森羅万象が絡み合う浮世の奔流に、絶えずあちらこちらに流される。』そこからどう生きるか、それこそ歴史を勉強する意義ではあると、私は思う。