かりんちゃんの随心日誌

随筆、旅の話、ゲームの話、香港の話、言いたい放題

渋谷の集会

本日、渋谷の集会に参加しました。

異郷の地で異郷のことを訴えようとしても、何のために誰のために行っているか、以前でも話しましたが、自分にもずっと悩んでました。時にも、香港でできなかった人々のために立ち上がる、とまでは考えましたが、どうも納得まではいけませんでした。

 

確かにミャンマーのように武器を持って共産党と戦える状態ともなれば、いっそのこと香港の自由のために戦って死んでもいいし、そっちのほうがまだ理に合っている。ただし今の香港はそもそもほんの少し変な挙動でもしたら即・逮捕されるので、そんなことはただの自殺行為です。しかも良いこと一つもない。

 

ならばこの集会は何のためにか、ただのストレス発散か?光復香港の旗を振る舞う、写真を取るためか?よくよく考えると、「話題を作る」、たぶんそれが最大の理由じゃないかな。

別に日本人に同情を訴えるわけでもなく、金の支援でもなく、単純に、香港の現状を覚えてほしい、というのがこの集会の最大の目的と、自分は考えました。

 

失礼で申し訳ございません、ただ、来日前でもよく観察しましたが、どうも日本人の祭り気質は想像以上ではある。最初はすごく注目されることでも、1ヶ月、2ヶ月後では飽きてしまい、次第に「まだやってるの?」という冷たい反応になってしまう。武漢ウイルスもそうですし、香港はもちろんのこと、ウクライナのことも、最近もこの傾向がかなり顕著化になってきた。

せっかく香港が示した、中国に警戒しないとどのような運命に辿るかということを、時間につれみなさんの感覚が薄くなってしまい、そして中国への警戒まで無くなると、香港の犠牲は本当の意味で台無しになる。

そしてそれが中国共産党の狙いとも考える。

 

なので、話題を作る、声をちょっとだけでも良い作る。忘れかけた2年前のことを、少しずつでもいい覚えさせる、それが本当の意義と自分は思っています。

 

自分がここに来て、香港よりも日本のために力を尽くす覚悟はありますが、中国共産党の言いなりになりつつ場所だと、果たしてその覚悟に価値はあるだろうか、というまでも考えてくる。先日大森駅前の日本共産党の演説を見て、あれはどうも20年前香港の親中勢力と重なり合う。こういうのはおそらく、香港人でしかわからないことではあるかもしれない。

 

香港人の戦い方はデモとよく言われている、なぜなら香港人は武力で戦えない、外圧を呼びかけて中国共産党を負かすしかない。なので、デモでも集会でも、まずはインパクトが大事、「画面が美しい」、そのような精神でないと注目されない。たとえ冷たい反応だとしても、無関心な人でも一瞬だけ目が止めるような「画面」を作ることが「香港のデモ」。それが武器でもあり、今まで様々なデモ伝説を作り上げました。

 

しつこいと言われようとも、自分は来年もまた参加すると思う。これが自分たちの戦い方だから。