かりんちゃんの随心遊戯日誌

ゲームの日記、たまに政治の話、香港の話

7・21の2周年

2年前、ホンコンの元朗駅にて、大量の白い服の人がデモ帰りの人を襲撃した。事件ではデモ帰りだけではなく、たまたま元朗駅に居た一般人すら襲撃対象となっていた。襲撃は2回も渡り、何十分も続いた。途中では二人の警察が目撃されたが、その二人の警察が襲撃を見たが早いかすぐどこか逃げ出した。30分以上の一方的な殴り合いが続いて、白い服の人たちがやっと飽きたところで警察がやってきた、この出遅れは「ちょっと遅くなった」「文句に言われともこっちは驚かないぞ」などの言い訳で、全く自分に非があると自覚してない。

この事件は警察どころか、大量の白い服の人すら未だに罪が追及されてない。香港政権は最初から仕方なく一言の非難から、「二つのグループの大規模な衝突」と結論付けようとしている。「時代革命」などデモスローガンのシールを玄関貼るだけですぐ大量の警察がやってきて逮捕するにひきかえ、当時人を襲撃した「テロリスト達」は多くも未だに逮捕されない。警察は「調査中だからコメントできない」「まだ調査中だ」など、何もしないよと言わんばかりの態度でこの事件を処理している。

香港の天安門事件と言われたこの事件は、市民と警察、政権の決定的な対立を招いた。あるいみ、この2年間、香港の堕落の始まりのきっかけとなる事件。白い服の人は元朗の既得権益者であり、親中派とも言われた。裏では中共や親中派の議員が絡んでいると噂されてるから、香港政権にとってはどうしても消した事件であった。後で現れた民主派議員(調停のためであった)に濡れ衣を着せられ、すべての責任を彼に押し付けようとしている今の香港政権と中共。そしてこの事件を追悼しようとしている人々を弾圧する。これまでかぶった「民主」「言論の自由」「法治」の仮面が一瞬破られ、一国二制度の破綻ともなった事件。

 

あるいみ、ぼくが日本にいるのも、この事件がきっかけかもしれない。ここまで大規模な襲撃事件、当時の写真や動画が大量に残されたにもかかわらず、真相はもちろんだが多くの白い服の人がまだなんの罪が問われてない。そして逆に襲撃された人が暴動として責められこともある。白い服の人と握手でもした親中派議員は未だに議会でやりたい放題。出遅れた警察は未だになんの責任を背負う必要がなく、そして「もう過去にとらわれるべきではない」などと得意げな顔で述べていた。

このような社会、このような政府、このような国、ぼくは死んでも許しませんよ。