かりんちゃんの随心遊戯日誌

ゲームの日記、たまに政治の話、香港の話

太平記と邪馬台国

台風では「太平記」を視聴し、最後の動乱「観応の擾乱」に突入とした。尊氏の「今の世は、醜いものばかりじゃ…!わしは美しい菩薩を描きたい!美しい世をつくりたい!」の言葉に心が打たれた。そうであろう、おそらく政治家はみな、この言葉に同感ではないだろうか。ごく一部私欲のために政治をやっている人を除く、おそらく世界の殆どの政治家も、「自分が思っている」美しい世を作る(又は目指している)ために、結局醜いものばかり生み出してしまう。

世のために動くと思った矢先に、思わぬ事態が続々と出てくる、やがて事態が悪化していく。3年前香港のデモの発端も、そうであった(元々は親中派が殺人犯を裁くために動いたことは、まあ事実である)。

結局、原因は人みな同じではないからです。あなたが思う「正しいこと」は、別の視点から見ると「正しくない」。あなたが思う美しい世は、他の人にとっては必ずしも美しいとは言えない。故に物を見るには多角度であるべき、故に独裁のような一人で事の是非を決めるのはだめであった。

そのための民主であろう。

尊氏は晩期、北朝と和解するに苦心しているが、結局それもまた、尊氏一人だけが考えた「美しい世」、北朝の方々は勿論だが、南朝も賛同する人は少ない。これはたぶん、なぜ乱が終わらない最大の原因ではないか。

実際、室町時代は乱ばかりで、尊氏が思った「美しい世」とは全然違う世界だった。これは「太平記」の教訓ではないかと自分が思っている。

 

さて、「日本の歴史」シリーズの1巻「神話から歴史へ」を読んでいます。去年古事記を読破したことで、まだ半分しか読破してないが、内容はかなり面白いです。やはり記紀を実際に検証すること、いま再び話題となっている邪馬台国のことなどを、発掘されたものなどを考察することは、非常的に面白い。

記紀では邪馬台国が出てきてないが、北九州で発掘されたものに三種の神器のようなものに照らし、記紀の神武東征の話を考慮すると、やはり邪馬台国は九州説、そして東遷説の信用性(あるいは、何かしら主の政権が東に移った)は高いだろう。おそらく大和政権も、天皇陛下の先祖も、北九州起源ではないか。少なくとも当時の日本では馬が珍しいものらしいから、近畿までは遠すぎるし、近畿説だと九州から近畿まで記載すべきものが何ひとつもないのはちょっとおかしい。神武東征自体は、北九州の国が東遷のような動きを美化した産物であろう。

飛鳥以前の時代は結局記紀以外の本では記載れてないから、確かなことは誰も主張できない。でも、記紀と遺跡発掘に合わせて、何かしら「正しいこと」は、ある程度推測できないではないかね。

推測しかできないが。