かりんちゃんの随心日誌

随筆、旅の話、ゲームの話、香港の話、言いたい放題

三重県の旅 まとめ(5) 終わり。

5日目の詳細

桑名

さて、旅がいよいよ終焉とのことで拠点を北側に移しました。桑名を選定した理由は、いくつの史跡が桑名に集中していることと、名古屋への移動が簡単ですから。名前こそ三重県ではそこそこ都会であろう、と予想しましたが、降りてみると…駅こそ一新はされたが、商店街やショッピングモールすらなく、暇を潰せる店も少なく、お土産さんも駅前の小さい店(そもそもコンビニ)ぐらいしかないのです。

そう、ここはそういうとこ。名古屋や愛知県に近いからある程度は発展されるだろうと思ったんですが、ここまでとは完全に予想外。

だからここホテルが少ないわけか…。実はホテルを予約するとき、ここどこで泊まるかめちゃ悩まされた。せっかく最終日でもあるし、もうちょっと良いホテルでゆっくりしたいなと探しましたが、なかった。結局スーパーホテルで泊まることにした。

もちろん、名古屋で泊まるか、とも考えましたが、移動が不便と、電車の時間計算が面倒という点で、桑名のホテルで妥協しました。

ここのお土産名物は安永餅で結構美味しいが、賞味期限は3日です。

多度大社

「お伊勢参らば お多度もかけよ お多度かけねば 片参り」

簡単に言うと、「伊勢神宮に参拝するなら多度大社も参拝しろよ 参拝しないやつは中途半端なやつだ」

まあ、そこまで言われる、重要な神社です。桑名からではやや外れている場所なので、不確定要素を先に潰すために最初の目的地となった。行くには養老鉄道のみだが、もちろんSuicaは使えません、それどころか、発券機は新札受け付けません。なぜかというと、行くときは新札1000円1枚と諭吉しか財布にない。

まあ、両替できますのでご心配なく(機械ではなく駅員からですけど)。

最寄駅は多度だが、それでも大社までは徒歩20分の距離です。冗談抜きて結構遠い、ただし一本道なので迷うこともなく、ひたすら前に歩けば鳥居が目に入る、というもの。

さて、この多度大社。結構有名で新聞にもなったの上げ馬神事のとこです。虐待と言われるほど。ただし祭りはGWなので今は何もなく、ただ七五三の幟旗があちこち…。馬だから神馬もいらっしゃる。100円置いとけば神馬に餌やりが出来ます。かわいいやつです。

神社自体は奈良時代以前創建(雄略朝)、それからいろいろなことが出来たが信長の侵攻によって多数の建物が消失した。その後は本多忠勝の尽力により再建され、今に至る。

東海山 泥垣院 照源寺

桑名藩4代目が創建した寺。松平定綱の墓は裏に居ます。

神宝山 法皇院 大福田寺

伝説では聖徳太子がここで創建した寺です。本当かどうかは知らんが、それから室町時代では足利尊氏が「大」の文字を加え、名前を大福田寺にしたという。そういうこともあって、歴史がある寺さんです。

1日だと御朱印は金文字になるらしい。

法性山 海蔵寺

島津の家紋とは珍しい?実はここ、江戸時代の治水普請を受け、薩摩藩から1000人が派遣され工事をしたが、難航したため、犠牲者などもあり、結局工事後、責任を感じた総奉行は自刃したという。それで治水の犠牲者の墓はここに建てられた。

そう、いわゆる宝暦治水というやつです。

諸戸氏庭園

正直僕が好きな日本歴史は明治維新まで。近代になるとどうも色々が生々しいから逆にあまり好きではない。しかも諸戸清六は商人やし実業家やしなおさらですね…。ただ、桑名の史跡といえばこれが代表で、さらに位置的にも回りやすいから寄ってみた。

庭園はさすがというべきです。こんな広い庭園を持っているとは金持ちはやはり違うな―。

好きではないがさすがの庭園ということで、キレイな写真めちゃ取れました。とくにここの水は、本当の鏡のようで絵になる。

六華苑

さらに諸戸清六の家。特徴は和風と欧米風を組み合わせ、一つ建物として出来ている。洋館を設計したのはジョサイア・コンドル…知らねえ。まあとりあえず大正時代の洋館を中に参観できるわけです。ここにもそこそこ広い庭園が用意される。どんな金持ちだよ…

ちなみにレストランもあり、時間を見るとめちゃ余裕があるのでここでランチを食べました。

七里の渡跡

徳川家康が江戸と京都を結ぶ東海道宿駅制度で、41番の熱田と42番の桑名まで、舟を渡る距離は7里から出来た名前。まあ、要はむかし上京の道路で、その河の距離は7里です。

ちなみにここも伊勢神宮に参拝する関門であり、鳥居はその目的で建てられました。

桑名城跡(九華公園)

本多忠勝の城。揖斐川を面する平城だが、現在はほぼ全部取り壊され、本丸跡と二の丸跡だけ整備され公園となった。

おそらく桜の季節では綺麗だろうけど、行ったときは虫めちゃ飛んでいるだけです。

あと鴨。

ちなみに天守閣跡は閉鎖中。

桑名宗社(春日神社)

太刀の村正・正重がここに置いてるらしいが見せるものではありません。はいどこか隠されているかわかりません。 ここで一番えらい神社らしく、鳥居を含めてかなり立派な神社です。

御朱印の種類も多いからお財布にご注意。 ちなみに8月では石取祭を行い、桑名の最大の夏祭りだそうです。

桑名市石取会館

この建物は元々銀行の支店だったが、現在は石取祭の博物館。閉店は16時なので神社より早いです。

入るのは無料。桑名宗社の石取祭で使われた車や資料が展示される。神社から徒歩5分の距離なのでおすすめ。

桑名駅前は本当に店らしい店が少ないが、実は飯なら駅の連絡通路の伊勢ノ国食堂しちりは結構いいです。桑名の名物は桑名蛤、ここでは結構安く食べられます。定食もうどんもあり、一人飯にしてはコスパが良く、非常的に良かったと思います。

6日目の詳細

いなべ

このへんは元々予定になかったが、予定がうまく消化したことで時間が余った。よって駅メモ埋めを兼ねて寄ってみた。

行くには三岐鉄道だが、とても昭和的な地方電車です。もちろんSuicaは使えません。1日パスは用意されるが、正直毎回駅員に見せるのは面倒なので、素直に切符を買うほうが便利かもしれない。

ちなみにこのへんの史跡は、本当にめちゃ地味なので期待しないでほしい(でなきゃ最初スルーするわけない)

猪名部神社

東員駅から徒歩15分ぐらい。これも結構遠い。しかも神社が無人、ただ参拝するだけでした。

聞けばここも上げ馬神事を行いますが、まあ、今はとても寂しい所です。ただ、上げ馬として使われている石垣はそこにあります。そう、上記写真、鳥居の後ろの石垣です、あれが上げ馬神事として使われているのですよ。これは確かにエグい。

長島

長島一向一揆でなければ寄ることもなかったが、正直ここに目ぼしい史跡は残されていません。なので、本当に、もの好き用です。

長島城跡

今は学校となった。城の面影は一切なく、ただの案内板が設置されたのみ。学校だから中は勿論確認できず、そもそも中もおそらく史跡らしい史跡はなにもない。

蓮生寺・旧長島城大手門

当時のものではないが、明治時代で移築した大手門です。この門だけですここの史跡らしい史跡は。

長島一向一揆殉教之碑

田んぼの中の寺の碑。史跡巡りよりも、一向衆無残な死に気持ちを捧げ、戦国の歴史を思い偲ぶところです。

最後…

三重県は伊勢神宮をお参りするところです。それは否定しません。かと言って他の史跡は全然ない、それも違います。ただ、歴史に詳しくないとやはり難があり、そういうところを考えるとやはり上級者向けかな…。

伊勢神宮は殿堂入りとして、個人的にベスト3は

  1. 斎宮
  2. 専修寺
  3. 松阪市文化財センター「はにわ館」

でした。

ちなみにもし機会があれば再度訪れ、今回消化できなかった場所はもちろんだが、北畠神社と霧山城跡も行きたいですね。ここは、どうもスケジュールに組むのが難しく、諦めるしかなかったところだった。

というわけ、今回の三重県記事はここまで。次は、まだわかりませんね。とりあえず来月は温泉メインなので史跡はあまり考えてない…。