三重県旅の荷物を整理すると、敢國神社で拝受したお守りの言葉に、複雑な感情が心から舞い上がった。
タイトルの「一陽来復」である。
どうして敢國神社ではこのお守りに目をつけたんだろう、やはりこの言葉かもしれない。
「易経」由来ですが、漢字圏ではこの四字熟語は見当たらないことで、和製四字熟語かと思います。意味としては「陰が窮まって陽にかえること。」つまり、悪いことはいずれ去り、良いことはそれで巡り合う。
響きが良い言葉で、ふと5年前のことを思い出す、香港の皆もあの頃では民主デモを経り、国家安全法の無理やりの成立が「黎明」の前の暗と、お互い励ましあった。そんな暗闇が5年も経った。改善どころか香港はどんどん中国化していく、聞けば、もはや香港にいる香港人は、階級社会の下級レベルと扱いされ、たとえば大学では中国人の密告に恐れていた。
ここまで見ると、より一層虚しくなる。諸行無常といえども、実は自身でも「盛者」という時代は一度も感じたことない…あるいは神様からしては今が「盛者」時代なのか…?だとすると笑えない冗談で過ぎない。
台湾の民主化運動も10年20年、バルト三国も光明を見るまでソビエト連邦の圧政の下で半世紀のつらい時期を凌ぎていた。ならば5年はまだまだ短いだろうが、出口は未だにわからないまま、「香港」らしさが消えていく。
あるいは、この「一陽来復」こそが、現状自分が一番切に願うことかもしれない。この混沌の世の中から、夜明けは来るだろうか。