かりんちゃんの随心日誌

随筆、旅の話、ゲームの話、香港の話、言いたい放題

教育勅語から色々と

『新・平家物語 巻十一』を読了したので、しばらくは距離を置き、他の本を消化しています。もちろんそれで終わりではないものの、一旦違う課題を読みたいという趣旨。

そんなことでBERTやら天文学やらも読んでいますが、やはり『戦前の「正体」』、この本の続きを読みたくなる。

 

さて、2章を消化した。これは最近よく聞こえる「教育勅語」の話。ぶっちゃけどんなものなのか知らなかったからコメントしてなかったが、この本は丁寧に原文を一字一句を説明してくれた。

一番驚いたのは、「教育勅語」の忠孝の話ではなく、この「教育勅語」の源、とくに尊王思想は後期水戸学→朱子学ということであった。

これはつまり、戦前の日本を生み出したのは他ならぬ中国自身である。なんとなく皮肉を感じた(もし反日してる中国人がこれを知ったらどう思うか…)。

もちろん、「儒学」「朱子学」そのままでもないが、その源流の会沢正志斎の「国体」という話からなので、それを生み出したきっかけが大義名分論であり、これは儒学が核となるので、結局やはり「儒学」「朱子学」のせいである。やはり神武天皇や記紀などを含めて、都合よく解釈し、忠孝はアマテラスから、日本は特別の国などを強調し、「一大家族国家」論まで発展した。要は天皇はみなのお父さん、だから尊敬するのは心から当たり前。

腹から独裁の色が強い。明治維新は欧米を取り入れることは結局まやかしで、目指したのは天皇中心の専制政権であった。特に、君臣の関係は「没我」であり、これで欧米では当たり前の「個人主義」と「権利義務」を否定した。そういえば、『学問のすゝめ』では統治者と平民の関係は「権利義務」と諭吉さんが力説しましたね…。これを読むと、やはり諭吉さんの理想と明治政府の「真実」は最初からまっ逆であった…。

 

もちろん、僕は天皇を否定するつもりはない。ただしやはりイギリス(植民地)の教育を受けた身、イギリス王室についてもどう思うかはご自由であった。植民地香港では誰に従うとかそういう教育もなかった、むしろ誰かの命令に従って行動ではなく自分で考えろのがよく言われた(それができるかできないかは別問題だけど)。香港はよく愛国心がないと今の中国共産党がダメ出しなんですけど、実は政治の縛りがない、中立こそが香港の強みだったんですけどね(それが今なくなったな)

最近とある中国共産党の代弁者がカタールのインタビュー番組で、代弁者が「習近平の悪口はダメか?」という質問に対しイギリス王室(司会はイギリス人)を持ち出して反論したが、司会がすぐ「別に俺は王室尊敬してないよ?この場で堂々と主張できるよ。」と論破したので、やはり言論の自由はこうであるべきだと自分は思います。(この番組はAl JazeeraのHead to Headです)

ここまで考えると、明治維新は成功というべきか、ちょっと疑問を持つようになった。結局戦前の日本は、形が欧米化ができたとしても、精神自体がやはり儒教や神話に囚われている。

 

ただし、戦前の日本の探究はまだまだこれからなので、ここで結論をつけません。ちなみに僕は独裁だけ嫌うだけで、それ以外は特に感情はございません。

 

独裁といえば、岸田さんやめましたね…。そうすると総裁選は候補乱立の様相。

誰が良いか正直僕はコメントできる立場でもないけど、誰がだめなのか…そうですね、河野氏は自分に反する意見は露骨に態度を出る、完全に独裁者の素質なので、この人だけはだめかな。別に親中媚中よりも性格からしては、一番トップに就くことがいけないタイプなのです。

正直、リーダーは能力よりも党、そして日本をまとめるのが重要です。リーダーは必ずしも有能ではない。むしろ有能すぎて災いを招くこともある。そうすると、やはり性格から探ると良いでしょう。