いくつの疑問点が解けるようになり、しかしさらに新たな疑問点が生じてしまう。だから世の中では新しい本がどんどん生み出されたんだろう。
思えば、自分は日本人ではないけれども、中国に対する感情もネガティブしかない今、この複雑かつ難解の歴史・戦前を理解するには最適かもしれません。もちろん、日本人ではないから、結局日本人の考え方を到底理解できませんけど、中国人でもない今では、むしろ第三者として中立的な態度を取れるようになる。今の僕ならば、冷静にこの歴史を対処できると思います。
なにせ、口では「天皇陛下」といいますが、実際は保守派のように、常に「日本の心」を第一として行動するのは、到底僕にはできませんし、奥底にもそんな意識はなかった。所詮自分ができるのは、日本人の「真似」でしかない。
しかしなぜそれでも「日本」を理解したいか。結局やはり、中学以来のジレンマである。自分が実際接触した日本と、歴史にあった日本。とりわけ香港の教科書では「日本」を妖魔化し、香港の親中派はもちろんだが、香港伝統的な民主派(周庭は新世代民主派)も日本にはわりと反抗的な態度を取ることが多かった(実際尖閣諸島上陸したのも伝統的な民主派ですし、一部では実際かなり「反日」でした)。このジレンマは奥底に刺された針である。この針を抜くには、結局「日本とはなにか」という疑問を解く必要がある。
「日本とはなにか」。たぶん日本の皆さんでも、うまくこれを答える人は少ないかもしれない。国の実像を確かめるには、歴史を遡るしかないとは僕は考えています。だから、来日後日本の歴史書をひたすら読むのは、趣味は勿論だが、この問題を解くためでもある。そして、何事も起点があり、その起点から理解しないと、途中から見るには不可解なことがたくさんある。ゆえに、戦前の本よりも、まずは古事記やら、縄文時代や考古学歴史から順番通りに読むことになった。そこから日本の起点から見ると、「日本とはなにか」という答えも自然に出てくるではないか、という。
だから、この本を読むことは割と暴挙でもあった。でも、やはりタイトルの魅力には抵抗できなかった。許してくれ。
結論というと、「満州国に固執する」と「ヒトラーと組む理由」の2大テーマを理解できるようになった。しかし、日米開戦までの過程を見ると、昭和天皇が「戦争を止めたいけど、そんなこと話したら国がめちゃくちゃになる」という言葉を見ると、どうやら実際に、当時の日本の状況、なぜそのような世論になってたか、その原因を究明しないといけないと思った。つまり、なぜテロリストを多発したのか。なぜ要人は暗殺されたか。なぜ「鬼畜米英」が定着されてしまうのか。なぜ実際に戦争に負ける以外、絶対屈伏しない世の中になってたのか
ちょうど『学問のすゝめ』を読み切ったこともあり、諭吉さんはそこで「一身独立して一国独立す」とか主張したり、7編では暴政に対し「ただ正理を唱えて政府に迫ることなり」とかも話したのに、結局戦前はみな政府のことなんの疑問も思ってなくただ従うのみ(あるいは思ってたが声を上げなかった、あるいは逆にテロは正理を唱えと解析されてしまった?)。諭吉さんは悲しむじゃないかな、とまで思ってしまう。
ゆえに、この本はいくつの難題を解けましたが、別のいくつの難題を増やした。でも、「日本」というぼやけるイメージは少しずつも、鮮明になっていたのは確かのです。
繰り返しますが、日本人ではないから、日本人実際何を思うかは、到底僕は理解できません。ゆえに諭吉さんの本音を誤認識することもあるかもしれない。
しかし、だからこそ、第三者として冷静に物事を見ることができると自分は思います。
この謎解きの答は、たぶん、自分残りの人生の、目指すべき終着点かもしれません。
この本は、その終着点への乗り換えの案内であった。