かりんちゃんの随心日誌

随筆、旅の話、ゲームの話、香港の話、言いたい放題

民主を求めることが「テロリスト」になった日。

最近香港の掲示板で一つ記事に目を留めた。英フィナンシャル・タイムズの記事ですので英語なんですが、話はこうである。「イギリスに避難した一人の香港人が、イギリスで引き続き民主デモを参加し、さらにイベントで演説を行いました。そんな彼がとある事情で一時的に香港に戻ると、すぐに香港警察に呼び出された。そしてネットですら公開されてない、彼がデモに参加した写真を見せられ、『お前はすでにテロリストの疑いがある』と警察が彼を威嚇した。」

 

https://www.ft.com/content/793a32bf-2184-4f0f-8690-51ca6632b6b6

 

その人はすぐ危機感を覚えイギリスに戻ったから無事のようですが、いつの間にか、我々海外の香港人も、ウイグルやチベット人みたいに中国共産党の要監視対象になった。外国に居てもどこからの監視に警戒しなければならない日々、そして自分自身もいつの間にか監視されたかもしれないと思うと、思わずゾッとした。

 

テロリスト。昔では考えたこともなかったこの呼び方が、知らないうちになったかもしれないという恐怖。本当に夢にも思わなかった。しかも、単純に民主・自由・正義・平等・論理的思考などの普遍的価値を求めてデモに参加し、平和的なことしかしてないのに、いつの間にか「テロリスト」になったかもしれない理不尽さ。皮肉にも、このあたりの思考を自分に教えたのは、香港の教育だった。いったい、自分の人生はどこで間違えたのか…?

 

自分はまともな人間になるべく日本に来ました。独裁者の言いなりになりたくなく、誠実な人間を求めて香港から逃げた。それでも「罪」だというのか。ここまで考えると、本当にこの世界は何が正しいか何が悪いか、わからなくなる。

 

それでも抗え、現実と戦うのは何のためというと。ならば問う、どうして私が生まれてきたのか。生きている事自体が無意味であれば、そもそも生まれるべきではなかった、違うか。